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大田刑務所の服役者数千名を韓国軍警が集団処刑 [屠殺]

大田刑務所政治犯集団虐殺事件

 アメリカ最高の韓国戦争史学者であるブルース・カミングス教授(シカゴ大)は、6日、大田刑務所政治犯集団虐殺事件に関連して、「この事件は老斤里事態より、はるかに規模が大きい」と述べ「アメリカ軍はこの事件に対しても、調査しなければならないだろう」と強調した。

 カミングス教授は「アメリカ軍と韓国軍は同じく国連軍の一員であったし、アメリカ軍高級将校を含む参観団が現場におり、韓国軍の処刑を阻止しなかったという点で、大きな責任がある」と指摘した。

 韓国軍警の大田刑務所政治犯集団虐殺は、50年7月4~6日が確実と見られる。カミングス教授の著書『朝鮮戦争の起源』(プリンストン大学出版部、1990年)第2巻の699頁に引用された、1950年8月9日付『ロンドン・デイリー・ウォーカー』紙の記事によれば、虐殺は7月2~6日であり、最初の2日間は処刑場所を準備して処刑は3日目にはじめられ、3日間続いたと報道した。

 ロンドン・デイリー・ウォーカー紙は、当時イギリスで発行されていた共産主義系列の新聞。この新聞の韓国戦争従軍記者であるアレン・ウォルミントン記者は、北韓軍に従って前線を行き来しながら取材をし、大田刑務所収監者の処刑現場も訪問した。

 ウォルミントン記者は、目撃者20名を引用、「2日、韓国警察がトラック数台に乗って現れ、現地住民たちにそれぞれ深さ200ヤードのくぼみを6つ掘らせた。収監者は銃殺されたり、刀で首をはねられ、くぼみの中に投げこまれた。アメリカ軍将校がジープ2台に分乗して現場に現れ、処刑場面を参観した」と報道した。

 処刑場所は、ウォルミントン記者は大田近郊のヤンウォル(Yangwull)と報道したが、カミングス教授はこの地点がアメリカ陸軍の軍事地図にはナンウォル(Nangwull)と書かれていたと述べた。(現地で確認の結果、ナンウォル[朗月]と確認)

 カミングス教授は「宣教師J.アンダーウッドが、当時の大田矯導所収監者は約2,000名の水準と語ったが、収監者全員が処刑されたものと思われる」と話した。


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